

「かわらまち行ってきたついでにちょっと買ってきたで~」は京都の風物詩だが、
とりともの美味い物は、ついでと言われるには京都の味を背負いすぎている。
例えば12月は2回ついでがあって、映画見て、干し数の子注文して、数週間後、干し数の子もらいに行くついでに映画観て帰る。
干し数の子受け取って「おおきになぁ~」とゆっくりめに挨拶して一年をしめる。

京都は世界で最も歴史のある新しい街。
「おでん」等の古いお料理の歴史ある新しさは京都にしかない(多分)。
歴史ある新しさ?? わからない人は聞かずにぜひ通って下さい。
京都の良い所は時間と手間が人間関係にもかかってるところです。

他府県の皆様、もしカステラをお土産にと考えておられるなら今後京都には他の物をお願いします。
京都には皆様に食べていただきたいカステラがあります。
牛乳が飲みたくならない、卵の風味が後味に戻ってくる、焦げていない、
噛むとスポンジの気泡が潰れる感触のある、みずみずしい甘味のカステラです。

看板の灯りが敷居が高そうで戸を開けるのに勇気が必要、店に入ると敷居は普通の高さと気づきます。
普通の高さとは、お客さんに十分な感謝を表す誇り高い職人がアルバイトをまぁまぁ叱りながら
酔っ払いが羽目を外さない程度におかみさんがシャキッと接客、お客さんがちょっと恐縮する美味さ、ぐらいの高さのことです。
鳥しかない、美味くて、安い、入った人だけしかこの入りやすさを知らない。

一昔前は漬物の匂いが立ち込める町が沢山ありました。
その匂いを辿るとその町の味を支えるお漬物屋さんがあったものです。
長八さんの辺りは今も漬物が匂う気がする。お店の戸を開けるとはっきりと漬物の匂い。
デパートやスーパーではあり得ないことです。
それから、漬物がとびっきり美味しいだけでなく、お店のお母さんも娘さんもめちゃめちゃ美人なことも長八の魅力。

「美味くて安い」とよく言うけれど、それは「この値段で一番美味い物」と「この味で一番安い物」をどう捉えるかで、
両者を無知にミックスする様な、しかも「安い」と「美味い」だけ抽出する思考は台所の敗北でありシャッター商店街のはじまりではないか。
というようなややこしいことを佐野屋の主人は言わないが
「安い中で美味い肉」なのか「美味い中で安い肉」なのかは肉屋の主人との対話の絶対前提である。
おすすめは「美味い中で安い肉」です。

甘栗100年。剥いては食べ、食べては剥き、包装紙を折って作る屑入れは気がつけば満タン。
親指で栗の腹に割れ目を入れパカ! ベリ!コロ! っと裸の栗を一口、「美味い!もう一個」、
数個に1つくらい上手く実が剥がれないのが「今度こそ」と最終的にはより美しい栗を剥き出すことに心を奪われ、
美味しいそっちのけで最後の1つを迎える。

京都にお立ち寄りの際に買って欲しいモノは色々あるのですが、その中の1つに「家」があります。
家を買うにはかなり高い清水の舞台から飛び降りることになるのですが、
あなたが飛んでくれるなら京都に美しい町並みが残ります。
京町家の良さを知り、リノベーションしたり、スケルトン(内部が解体された状態)にしたりして、繋ぐ不動産会社。
著書に『珈琲の建設』『喫茶店のディスクール』(ともに誠光社)など。
そんなオオヤさんの視点で、地域に根ざしたいくつかのお店をご紹介いただきました。